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私が「わ碁ころメソッド」を着想し、その理念を具現化する場として「わ碁ころ幼稚園」を開園するに至った背景には、現代社会と子どもたちの未来に対する深い危機感、そして一つの確信がありました。
今日、AI 技術は加速度的に進化し、昨日までの「正解」が明日には通用しなくなる予測不可能な時代に突入しています。このような時代において、私たち大人が子どもたちに授けるべきものは、断片的な知識の詰め込みや画一的なスキルの習得ではありません。むしろ 「自ら問いを立て、他者と協働しながら、しなやかに未来を切り拓く力」 こそが、これまで以上に重要だと私は確信しています。
この問題意識は、私自身が教育現場で経験した痛切な体験に端を発します。子どもたちの言葉の奥に潜む満たされない心、揺らぐ自己肯定感、そしてコミュニケーションの難しさを目の当たりにしたとき、私は「子どもの心が柔軟な幼児期こそ、人間としての土台――すなわち『人格の根っこ』――を育む教育が必要ではないか」と強く感じました。本稿では、その問いを出発点として、わ碁ころメソッドの理論的枠組みと哲学的背景を詳述します。
わ碁ころメソッドの最大の特徴は、教育の中核に日本の伝統文化である「囲碁」を据えている点にあります。数ある選択肢の中から囲碁を採用した理由は、それが単なる知育ゲームを遙かに超え、「知的スキル(認知能力)」と「社会情動的スキル(非認知能力)」 を一つの活動の中で統合的に育む奇跡的な教育ツールであると見出したからです。
近年の脳科学研究によれば、囲碁は前頭前野を活性化させ、論理的思考力や集中力を高めることが示されています。しかし、私が着目したのはそれだけではありません。囲碁は本質的に、相手と向き合う一対一の「対話」です。盤上では、相手の一手に込められた意図を読み取り、敬意を払い、ときには自らの失敗や敗北の悔しさを受け止め、感情を整えたうえで次の一手へと立ち直る力が求められます。これは、社会で生きる上で不可欠なレジリエンス(精神的回復力)や共感性を育む絶好の訓練の場でもあります。
もっとも、伝統的な囲碁は幼児にとって敷居が高いのも事実です。そこで私は、囲碁の教育的エッセンスを損なわず、子どもたちが遊びの文脈で夢中になれるよう、独自に 「ぺたぴょん囲碁」 を開発しました。愛らしいキャラクターを登場させ、「陣地」という抽象概念を「おやつを集める」という具体的な目標に置き換えることで、子どもたちは楽しみながら自然に戦略的思考の扉を開いていきます。この 「伝統の現代的翻訳」 こそが、本メソッド第一の革新です。
わ碁ころメソッドは、目指すべき人間像を具体化するために、以下の 6 つの力 から成る理論的フレームワークを構築しました。これらは、古今東西の教育哲学や心理学を渉猟し、現代の子どもたちに真に必要とされる要素を抽出・統合したものです。
一見すると多様な思想の寄せ集めに見えるかもしれません。しかし、これは 理論のための理論ではなく、現場実践のためのプラグマティズム に貫かれた、意図的な 「教育的ブリコラージュ」 なのです。
わ碁ころメソッドの成否は、その哲学を実践する保育者の在り方に懸かっています。本園において保育者は、知識を授ける「教師」ではありません。私たちは、子ども一人ひとりの無限の可能性を信じ、その力が最大限に発揮されるよう寄り添う 「ファシリテーター」 であり 「共同探求者」 です。私たちの仕事は「教える」ことではなく、「問いかけ、共感し、承認し、そして信じて待つ」ことにあります。
学習環境に関しても、私たちは独自の哲学を掲げています。モンテッソーリの精緻な物理的環境論とは異なり、私たちは 「時間的・活動的環境論」 を重視します。具体的には、囲碁によって深く思考を巡らせる 「静」の時間 と、園庭で思いきり身体を動かしエネルギーを発散する 「動」の時間 を意図的かつリズミカルに配置し、子どもの心身の調和的発達を促します。この 「静と動のバランス」 こそが、子どもたちの集中力と解放感の双方を支える、わ碁ころ幼稚園の環境的基盤です。
本メソッドの最終的なゴールは、テストの点数で測れる「優秀な子ども」を育成することではありません。自らの人生の問いと向き合い、他者と心を通わせ、困難に直面しても折れることなく、自分らしく幸せに生き抜く人間――その土台となる 「人格の根っこ」 を育むことです。
AI が容易に「答え」を提示してくれる時代だからこそ、私たち人間は「問い」そのものを生み出す力を磨かなければなりません。わ碁ころメソッドは、囲碁という静かな盤上の宇宙を通じて、子どもたちにその力を授けることを目指します。
この信念のもと、私はわ碁ころメソッドを通じて、すべての子どもたちが希望に満ちた未来を自らの手で創造できるよう、今後も探求を続けていく所存です。
わ碁ころ幼稚園 創設者
松尾 多香紀