鎌倉時代(1192年~1333年)における囲碁の普及
鎌倉時代は武家社会が成立し、武士が政治の中心を担った時代です。 それまで貴族や僧侶中心で親しまれていた囲碁は、 武士の間にも急速に広がりました。戦略的思考を鍛える一環として 重視された面が大きく、盤上で戦をシミュレーションするように 囲碁を活用していたとも言われています。
また、この時期に禅宗が広まり、僧侶たちが精神修養の手段として 囲碁を取り入れたことも普及を後押ししました。 1199年には日本最古の囲碁書とされる「囲碁式」が編纂され、 囲碁における戦術や礼儀作法が整えられ、教養的な地位も高まっていきました。
室町時代(1336年~1573年)における囲碁の発展
足利将軍家の奨励と武士への浸透
室町幕府の足利将軍家は茶道や書道と同様に囲碁を重視し、 有能な棋士を保護することで囲碁のレベル向上を図りました。
これにより武士階級にも囲碁がさらに広がり、 戦国時代には戦略思考のトレーニングとして碁盤を使う武将も増えました。
同時に、都市部での普及も進み、 寺院や庶民の間でも囲碁が愛好されるようになっていきました。
「琴棋書画」という文化的ステータス
室町時代後期になると、 「琴(音楽)・棋(囲碁)・書(書道)・画(絵画)」は 教養の象徴とされ、囲碁は特に知的活動として高い評価を受けました。
この時期に築かれた囲碁の社会的ステータスが、 後の時代の家元制度やプロ棋士制度へとつながる下地ともなります。
安土桃山時代(1573年~1603年)における囲碁の隆盛
戦国大名と囲碁の愛好
織田信長や豊臣秀吉、徳川家康といった戦国大名は、 戦略思考の延長として囲碁を大いに重視しました。
信長は武将としての卓越した思考を碁盤で鍛え、 秀吉は囲碁の普及に貢献し、 家康は後の家元制度を整える基盤を築いたとされています。
御前試合と初代名人
1588年、豊臣秀吉の開催した「御前試合」で 初代本因坊算砂(日海)が優勝し、 秀吉から「名人」の称号を与えられました。
これが日本初の公認プロ棋士誕生とされ、 その後の家元制度につながる重要な出来事となりました。
算砂は織田・豊臣・徳川といった権力者の庇護のもと、 囲碁の地位をいっそう高めることに成功し、 江戸時代の本格的な家元制度へと発展していきます。
まとめ
鎌倉時代から安土桃山時代にかけて、 囲碁は武士や貴族、僧侶、さらには庶民へと徐々に浸透し、 戦略的思考の訓練や精神修養、さらには文化的教養として 高い評価を受けるようになりました。
室町時代の将軍家の奨励や「琴棋書画」の概念も追い風となり、 囲碁は社会的ステータスを得ます。 そして安土桃山時代には戦国大名の庇護のもと、 「御前試合」や初代名人の誕生を契機として 本格的なプロ棋士制度の基礎が築かれました。
こうした流れがやがて江戸時代の家元制度へとつながり、 日本における囲碁文化の礎を形づくっていくのです。