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「ふざけんなよ」「意味わかんねーし」
今でも、あのとき教室で聞こえた子どもたちの声が耳に残っています。
それは、囲碁を通して静かで穏やかな時間を届けたいと思っていた私に向けられた、思いがけない言葉でした。
小学校で囲碁を教えるボランティアをしていた頃のこと。
いつも通り碁盤を広げ、子どもたちと一緒に過ごす時間を楽しみにしていました。
囲碁は、相手の気持ちを想像し、勝ち負けを超えた「どう打つか」を考える遊び。そこには、思いやりや礼儀、間(ま)の文化が自然と育つと信じていたのです。
けれど、ある日──。
反発を見せるふたりの子どもから、強い口調で拒絶されました。
空気が冷たくなり、言葉も態度も次第に荒れていく。
私はただ戸惑い、深く傷ついていきました。
言葉の刃は、私の中に重く残りました。
夜中に目が覚めるほど、頭から離れなかったのは、「怒り」ではなく「悲しさ」でした。
自分の思いがまったく届いていなかったという、どうしようもない無力感。
「どうしてだったんだろう?」
子どもたちの笑顔が見たくて、真剣に向き合ってきたつもりでした。
でも、子どもたちから見れば、私はただの「外の人」だったのかもしれません。
気づけなかった「距離感のズレ」。それを受け入れるまでには、時間がかかりました。
そのとき、支えてくれたのは、周囲のボランティア仲間たちの言葉でした。
「精神的にまだ未熟なだけ。関わり方がわからなかったんだよ。」
「知らない大人に反応するのは、自分を守る手段だったのかも。」
やさしい言葉が、こわばっていた私の心を、少しずつほどいてくれました。
なかでも、ある仲間の言葉が胸に響きました。
「私も叱りすぎて落ち込むこと、何度もあるよ。でも子どもって、次の週にはけろっと来てたりする。不器用だけど、懸命に生きてるんだよね。」
──そうか。
私が向き合っていたのは、「素直でかわいい理想の子ども像」だった。
でも現実の子どもたちは、もっと複雑で、もっと不器用で、もっと一生懸命。
そして、誰よりも「助けを求めていた」のかもしれない。
この気づきは、私の価値観を根底から揺さぶりました。
この経験が、「わ碁ころ教育」という新しい発想の出発点になりました。
小学生になる頃には、心に鎧をまとい始める子もいます。
そのもっと前。幼児期という柔らかな時期に、心の根っこに触れる教育が必要なのではないか。
囲碁は「考える遊び」。
けれど、ただの知育ではない──石を一つ置く、その一瞬の間(ま)に、
が育まれる。
これは、勝ち負けではない「人としての在り方」を育てる時間。
囲碁と幼児教育の出会いに、大きな可能性を感じました。
今では、あの子たちを責める気持ちは一切ありません。
あのときの言葉も態度も、きっと「かまってほしい」「気づいてほしい」というサインだったのだと思います。
誰にも届かなかった心の叫びが、あんな形であらわれただけ。
そう思えたとき、私の中に静かに芽生えたのが、「わ碁ころ幼稚園」のはじまりでした。
これは、未来のための静かな種まきです。
今すぐに大きな変化を起こせるわけではありません。
でも、「やわらかな心の根っこ」にそっと触れられるような、そんな小さな積み重ねを信じて、これからも歩んでいきたいと思います。
そして──
いつか、あの子たちが大人になったとき。
誰かを思いやる、静かで強い人になってくれていたなら。
それほど嬉しいことはありません。